うっかりーまんのうっかり生きてます。

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ベイマックスのアカデミー賞は誰にあげるの?

「ベイマックス」がアカデミー賞だそうです。


日本からは、高畑勲監督の「かぐや姫の物語」がノミネートされていたので、この結果は残念です。


でも、「ベイマックス」が受賞して、「かぐや姫の物語」が落選した、という今回の結果は、単に日本アニメが負けたという話ではなく、もっと深い意味をもつ話だと思います。


「ベイマックス」、私も見ました。


確かに楽しい映画です。文句のつけようもありません。


なのですが、なんというか、どこか空虚なんですよ、「ベイマックス」は…。


「ベイマックス」は、最新のシナリオ工学を駆使したうえで、大勢のスタッフが徹底的に知恵を出し合い、極限までエンターテインメント性を追求したストーリーです。


おそらく、そのシナリオや映像設計には、心理学や社会学、大脳生理学などの知見も使われているのではないでしょうか。


すべては、(一人でも多くの)観客に楽しんでもらうために!


その結果、実際ベイマックスは、ほとんどの人が見て面白いと感じる映画になっていると思います。


少なくとも、そういう作品づくりを明確に志向しています。


でも、そこまでやると、作品から「作家性」は、ほぼほぼ消え去ってしまうのですよね。


ベイマックスは、いったい誰の作品なのか?


この問いかけに、すぐには答えられない作品、というふうにも言えると思います。


それに対して、「かぐや姫の物語」は、強烈な作家性を備えた作品です。


というか、ほとんど作家性しかないと言ってもいいかも。


資金面も含めて、この作品は、高畑勲監督の執念というか、激烈なモチベーションなしには、到底存在しえなかった作品だと思うのです。


その作家性が、非常に高次に表現されているわけです。


ベイマックスとは、ぜんぜん、根本的に違う作品だと思います。


そして、どちらが好みかと言われれば、私は断然、「かぐや姫の物語」なんです。


そんなわけなので、今回、この対極的な両作がノミネートされ、対決することを、私はとても興味深く見守っていました。


そして、結果が出たわけですね。


まあ…ある意味、最近のハリウッドの流れからは、容易に予想される結果だったわけですけど。


これで、映画のポピュリズム化がますます進むかと思うと、なんというか…


個人的には、残念ですね。




ロボとーちゃんはブレードランナーの後継者?

今週のお題「ふつうに良かった映画」

 

 

それは「クレヨンしんちゃん ガチンコ!逆襲のロボとーちゃん」です。

 

ってこんな一年も前の映画を挙げて大丈夫なのでしょうか・・・。

 

なにしろはてなブログはじめたばかりなもので、「今週のお題」の要領がよくわからず、ちょっとズレてるかもしれません。そこはご容赦ください・・・。

 

でも、これをこの前DVDで見たら、ほんとに「ふつうに良かった映画」だったもので。

 

ネットの感想を見たら、「泣ける」という声が多いですね。

 

 

たしかに、泣けました。

 

でもこの映画、単に泣けるだけの映画ではないのです。

 

うっかりーまん的には、この作品のすごさは、子供向けアニメでありながら、「本格SF」をやっているとこなのであります。

 

というのも、ロボとーちゃんで描かれているのは、「ロボットのアイデンティティ問題」なのですよ。

 

「ロボットのアイデンティティ問題」ってのはつまり、ロボット自身が「自分の存在っていったいなによ?」って悩むことです。

 

これは、かの傑作SF映画「ブレードランナー」以来、本格SFの世界で何度となく取り上げられてきて、(そしていまだに結論の出ない)深遠なテーマです。

 

日本でも、手塚治虫の「鉄腕アトム」にはじまって、押井守監督の「攻殻機動隊」や「イノセンス」など、同様のテーマを追求したアニメーション作品の歴史があります。

 

もちろん、こんな難しい問題、カンタンに答えが出るものではないのです。

 

でも、このロボとーちゃんは、この問題に、いかにもクレヨンしんちゃんらしい一つの回答を与えて、しかもそれによって「泣ける」映画に仕立てているのです。

 

子どもたちが笑い転げるエンターテインメントにきっちりと仕上げつつ、同時にそのお父さん世代は泣かせ、なおかつ哲学的ともいえる深遠な問いかけを、子どもにもわかるレベルに落とし込んで表現するって。

 

本当にプロの作品だなって思います。

 

 

ちなみに、上の「NAVERまとめ」のロボとーちゃんの画像をもういちどご覧ください。ロボとーちゃんのシルエットが、微妙におかしいですよね。

 

あれは、野原ひろし(つまりしんのすけのお父さん)のシルエットなんです。

 

あの画像が、この作品のテーマを、じつに見事に象徴していると思います。 

 

ってうーむ。ネタバレしないように書こうとすると、なんだかとても難しいですね・・・

 

ともあれ、これを映画館で見なかったとは、うっかりしすぎです。自分。

『風立ちぬ』を見て宮崎駿の風について考えた

昨夜放送されていた宮崎駿の『風立ちぬ』について、ネットにいろいろな感想が上がっていたので見ていたら、こんなのがありました。

 


 

とても面白い視点だな、と思います。

 

映画の公式ツイッターまでが、「タイトル通り、「風が立つ」とき、物語は動きます」などと明言していたとは、ぜんぜん知りませんでした。

 

でも、よくよく考えてみると、宮崎駿の作品と「風」とは、この映画だけじゃなく、ほとんどすべての作品で、非常に深いつながりがあるような気がしてきます。

 

風の谷のナウシカ』なんて、タイトルに「風」って、思いっきり入ってますよね。ナウシカは、メーヴェという凧に乗って空を飛ぶし、作中でも「風使い」とか言われてますし。

 

天空の城ラピュタ』も、なにしろ「天空の城」ですよ。パズーたち一行は、飛行船で「天空の」城ラピュタにたどり着きます。当然、そこでも「風」は重要な役割を果たしていました。そういえばラピュタを守る「竜の巣」も、「風が逆向きに吹いている」巨大な積乱雲でしたよね。

 

となりのトトロ』にも、有名な飛ぶシーンがあります。さつきとメイが、トトロのおなかに掴まって、空を飛ぶシーン。そこでさつきが言うセリフは、「わたしたち、風になってる!」です。

 

紅の豚』はいうにおよばず、『魔女の宅急便』も、『千と千尋の神隠し』も、『ハウル』も『カリオストロの城』も、ほとんど常に、画面には風が吹いていて、登場人物たちは風に吹かれています。ハタハタと、スカートや髪の毛をたなびかせながら・・・。

 

『ポニョ』は?

 

『ポニョ』だって、大嵐が起きて、ものすごい暴風が吹いていました。その嵐の中で、ポニョが波の上を駆けてくるシーンは、宮崎アニメでも屈指の名シーンだと思います。

 

ここまで風が吹きまくっていると、宮崎駿のアニメにとって、「風」ってなんなんだろう?と考え込んでしまいます。

 

そこでハタと気がつきました。

 

アニメーションの本質って、いかに(本来は静止しているはずの)絵を動かすか、という技術のことですよね。

 

だからディズニーのアニメーションなんかは、キャラクターたちが歌ったり踊ったりすることで、動きを表現しているのだと思うんです。

 

それに対して、宮崎駿のアニメでは、風の表現によって、絵を動かしているのではないでしょうか。

 

そう気がついて、宮崎駿のアニメと、そのほかのアニメを見比べてみると、明らかに風の表現に差があることに驚きます。

 

宮崎アニメを見ていて感じるリアリティや、作品の深みみたいなものの多くが、じつは風の丁寧な表現に負っているのではないか?

 

そんな気さえしてしまいます。

 

そう考えてくると、彼が最後の作品に『風立ちぬ』という名を与えたことも、ある意味必然だったのかもしれない、とまで思えてきました。

 

今まで宮崎駿のアニメを、おそらく相当の回数見てきたと思いますが、「風」の存在をそこまで気にかけてはいませんでした。

 

ホントにうっかりです。